今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

江戸の歴史 近代化の地盤づくり

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 江戸時代とは日本の歴史のうち江戸幕府の統治時代を指す時代区分である。期間は慶長8年(1603年)に徳川家康征夷大将軍に任命されて江戸に幕府を樹立してから、慶応4年(1868年)に慶応から明治に改元されるまでの265年間である。幕藩体制という政治体制をとっており、政治・経済・文化思想の各面で、世界史上でも独自の発展がみられた時代であった。なかでも近年の研究により新たな見解が出てきた、参勤交代、鎖国士農工商について考える。

参勤交代

 3代将軍家光のときに参勤交代が制度化されたが、8代将軍吉宗は江戸が首都の体をなしていなかったからだとし、参勤交代により領地と江戸を往復する大名は江戸に藩邸を持つことから、首都を整備する政策として参勤交代制度を認識した。全国約260の大名が江戸に参勤交代をすることで、長い年月をかけ江戸一極集中といえる状況が生まれた。幕府の統治機能や江戸の首都機能、経済基盤が整備されるにつれ徐々に上方からシフトし、江戸が日本の中心になった。

鎖国

 幕府は近世国家の確立を図るために、寛永16年(1639年)から嘉永6年(1853年)にかけて、相いれないキリスト教の布教禁止といった方針のもと、対外交通、貿易を制限し、日本人の渡航を禁じ、取引国を段階的に制限していった。徐々にすべての貿易を幕府の統制下に置いていくことにより、日本独自の文化と国内産業の発達を促した。しかし、完全に国を閉ざしていたわけではなく、長崎、対馬、薩摩、松前の4つの外交窓口を開き、幕府の管理下で交易が行われていた。

士農工商

 本来は広くあらゆる職業の人々を指す言葉で、民衆、みんなといった意味で使われていた。近年の研究成果により、江戸時代には単純に士農工商という言葉で身分を分類していなかったということがわかった。上下関係や支配・被支配といった関係はなく、対等なものだった。

 このように、江戸時代から列島社会の均質化は始まっていた。統一権力、鎖国体制のもとで、国家が社会を管理する制度・システムがえ江戸時代を通じて整備・強化されている。その延長線上に明治維新があり、近代日本があると考えられる。

 

参考文献

大石学『新しい江戸時代が見えてくる-「平和」と「文明化」の265年-』(吉川弘文館、2014年)

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