今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

博学連携による生涯学習の推進

(約3600文字・購読時間4分30秒)

 1965年にパリで開催されたユネスコの成人教育推進国際会議で、ラングランにより提唱された生涯教育の概念は、現在では学習者を主体に据えた生涯学習として普及している。生涯学習とは、自己の充実・啓発や生活の向上のために生涯を通じて主体的に学習することであり、家庭教育、学校教育は、社会教育を含む学びの総体である。

 日本では、1980年代以降それまでの展示を中心とする教育活動に加え、ワークショップや鑑賞プログラムなど、より積極的な教育普及活動を多くの博物館が行っている。 学校教育においても、授業での博物館の利用は、博物館は地域の教育力を支える機関として、学校と連携協働し学校教育を補完する役割がさらに期待されている。その推進は、行政はもとより学校やNPOを始めとする民間団体など、様々な組織機関によってなされている。地域の学びの拠点である美術館や博物館などの社会教育機関が果たす役割は大きい。 近代社会の中で、美術館を含む博物館は市民に開放され、自由に博物館資料に接し、見たり、資料によっては触るなど体験して、学び、楽しむことができるようになった。 

 しかし、一般的な利用者に目を向けると、博物館を積極的に利用する人々がいる一方で、 身近に博物館などがありながらも活用することができず、自らの学びの機会を逃している人々がいる。また、学ぶことそのものに関心を持てない人々もいる。

 一般的に美術館を知識がある前提で行く崇高なものという思考があり、日常から遠ざけているのではないだろうか。建物は物々しく、中は薄暗い。行こうと決めて行かないといけない雰囲気がある。美術、芸術に対する意識が低い国民性で、一部の人が趣向する特別なものという思考があるように感じる。教育機関から離れると芸術文化に触れる機会が極端に減り、生涯学習としての美術、芸術という考え方が出来ないことにあるのではないだろうか。

 幼少、少年期における教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである。それらの活動を通じて培われたものが基礎となり、生涯にわたる発達を支える。生涯学習においても、幼少、少年期に味わった学びの喜びが、生涯にわたり主体的に学びは続けることの喜びの基礎となると考えることができる。学びの喜びを味わうと同時に、美術館を含む博物館を利用する機会を得て、美術館で学ぶことの面白さに触れることは、生涯にわたり社会教育機関を有効に活用しながら学び続けることへの端緒となるのではないだろうか。

 博学連携とは、博物館と学校とが望ましいかたちで連携・協力し合いながら、子供たちの 教育を押し進めていこうとする取り組みのことである。博物館や美術館は地域にある社会教育施設であり、いずれも貴重な教育資源であると言える。これまでは、博物館を見学する機会は社会科や総合的な学習の時間、学校行事などであった。しかし施設見学では博物館側の担当者と十分な打ち合わせをすることなく、見学が学校や教師の都合だけで行われたり、逆に施設の担当者にすべて任せてしまったうなど、学校と博物館との連携が十分とれないままに行われてきた。そのために、博物館のもつ豊富な情報や教育的な価値が学校の教育活動に十分生かしきれなかったと言える。 博物館と連携をとり、教育的価値を学校として活用することが生涯学習に有効であると考える。博物館には学芸員などの専門家がおり、教科書では見られない実物や本物の教材がある。もう一つの学校としてとらえることによって、子どもたちの学びの場や内容を広げることができる。

 博学連携は博物館と学校がそれぞれの教育機能を活かして連携・協力し、よりよい形で子供たちを教育していこうとする活動と考えることができる。ティーティーチングの形式で教師と活動すること、基本的プログラムをもとに授業や来館して学ぶ内容などを一緒に検討している。一方通行ではない、相互連携の形式の教育活動は多種多様である。博物館の機能を活用することで、自らすすんで見たり、聞いたり、調べたりし、そのバックグラウンドを考えたり、内容をまとめてみんなに伝えたりすることができる。また、視覚、聴覚、触覚などによる体験活動を伴う学びを行うことで、より高い興味・関心やより深みのある知識、より豊かな情操を育んでいくことができる。博物館文化、及び生涯学習の意義が更に社会に浸透することで、生涯学習が人々のキャリアや余暇活動に良い影響を与えて人生を豊かにし、社会・経済の発展にも貢献するものであることが認知され、より豊かな社会づくりに寄与することができるだろう。

 ライフスタイルの変化、価値観の多様化、高学歴化の進展、自由時間の増大の中、人々は、物心両面の豊かさを求め、高度で多様な学習機会の充実を求めている。一方で、科学技術の高度化、情報化や国際化、 経済のソフト化などの社会の変化は知識、技術、情報体系の発展と再編成が促される中で、新たな学習需要が生じている。また、社会教育行政は、このように多様化、高度化する学習ニーズに的確に対応するため、様々な方法により豊かな内容の学習機会を確保するとともに、学習機会の提供を通じて、住民の自主的な学習活動を支援し、促進する役割を果たしていく必要性を指摘している。 さらに、教育基本法が改正され、第3条に生涯学習の理念として、国民一人一人 が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならないと規定された。 このように、生涯学習社会の実現に向けて、博物館が必要な役割を果たしていくことが求められている。何を学ぶかを迷い、時には遊んだり、楽しんだり、そして学んだりするといったプロセスが展開される。今までの学習経験を振り返り、何を学ぶかを選択することになる。学校における半ば強制的な学習と博物館等での自由選択学習の体験から、子供たちは内面に多様な意味を形成し、その経験に基づき、将来の学習の道筋を選択していくだろう。このような学校教育と自由選択学習の繰り返しが、将来の学習の道筋を見通し、生涯学び続ける態度を形成することになる。子供たちは学校で訪問した博物館がきっかけとなり、休日に個人で博物館に行くこともあるだろう。あるいは大人になってから学校で見学した博物館のことを思い出し、親として子供をつれて博物館を訪れるだろう。

 最近の博物館では、見て学ぶだけでなく、触って、試して、体で学べるような参加体験型、ハンズ・オン型も工夫されている。それぞれの博物館の特質を生かした利活用が求められる。 一般には、学校から博物館に直接出向くことが多く行われている。これはこれで教育的な利用方法だが、学校が博物館から離れていたり、時期的に見学することが困難だったりすることがある。展示物の一部を貸し出したり、学校を巡回しながら展示したりしている博物館もある。移動博物館、出張展示などと言われている。博物館の学芸員などに出前授業を依頼することもできる。 博物館と学校の双方がそれぞれの特質を発揮しながら、連携・協力体制をつくることが重要なポイントである。さらに、これからの新しい博物館像として、集めて、伝えるという基本的な活動に加えて、市民とともに資料を探求し、知の楽しみを分かち合うという博物館文化の創造が必要になる。すなわち、これからの博物館の望ましい姿は、交流、市民参画・連携する学習支援機関としての役割の充実である。生涯学習社会における教育システムでは家庭教育、学校教育、社会教育を結ぶラインの中で、責任区分が明らかになり、博物館本来の教育機能を発揮することを強く求められており、欧米の博物館がいち早く教育重視の方向を打ち出したのは、まさに時宜を得たものである。 

 具体的には、その特徴である資料の収集や調査研究等の活動を一層充実させるとともに、多様化・高度化する学習者の知的欲求に応えるべく、自主的な研究グループやボランティア活動などを通じて、学習者とのコミュニケーションを活性化していく必要がある。情報化の進展やニーズの多様化とともに、特に新たな公共を担う拠点として博物館には教育サービスの充実が求められている。また、学芸員あるいは博物館同士が組織や地域の枠を越えて互いに連携協力していくことにより教育サービスが向上することが考えられる。このような連携・協力を具体的に実現できる技能はこれからの学芸員の要となる能力である。最近では、物質的な充足感を求めるだけでなく、精神的な満足感を追求し、充実した生活スタイルを目指そうという人達が増えてきている。こういった社会の現象が美術品や歴史資料といった文化財への関心の高まりにも繋がっている。



参考文献

『司書・学芸員をめざす人への生涯学習概論』大堀哲 編集/高山正也、 中村正之、西川万文、村田文生 共著(樹村房)

 

これからの博物館に期待される役割

(約1800文字・購読時間2分20秒)

 1965年にパリで開催されたユネスコの成人教育推進国際会議で、ラングランにより提唱された生涯教育の概念は、現在では学習者を主体に据えた生涯学習として普及している。生涯学習とは、自己の充実・啓発や生活の向上のために生涯を通じて主体的に学習することである。日本では、教育基本法が改正され、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならないと規定された。 このように、生涯学習社会の実現に向けて、博物館が必要な役割を果たしていくことが求められている。地域の学びの拠点である美術館や博物館などの社会教育機関が果たす役割は大きい。博物館や美術館は地域にある社会教育施設であり、いずれも貴重な教育資源であると言える。

 最近の博物館では、見て学ぶだけでなく、触って、試して、体で学べるような参加体験型、ハンズ・オン型も工夫されている。それぞれの博物館の特質を生かした利活用が求められる。展示物の一部を貸し出したり、学校を巡回しながら展示したりしている博物館もある。移動博物館、出張展示などと言われている。博物館の学芸員などに出前授業を依頼することもできる。 博物館と学校の双方がそれぞれの特質を発揮しながら、連携・協力体制をつくることが重要なポイントである。このような学校教育と自由選択学習の繰り返しが、将来の学習の道筋を見通し、生涯学び続ける態度を形成することになる。さらに、市民とともに資料を探求し、知の楽しみを分かち合うという博物館文化の創造が必要になる。すなわち、これからの博物館の望ましい姿は、交流、市民参画・連携する学習支援機関としての役割の充実である。

 

 一般的に博物館というと、展示されているものを見て楽しむイメージがある。通常は貴重な実物資料を展示しているため、劣化や破損を避ける必要がある。しかし、これらは、視覚障害者、外国人に対して障壁になる可能性がある。これを解決するために、すべての人が平等に利用できるというユニバーサルミュージアムという考え方がある。すべての人とは、視覚や聴覚、運動機能などに障害がある場合だけでなく、年齢や日常的に使用する言語の違いなどを持つ人のことである。これはユニバーサルデザインの考え方を博物館などのミュージアムに当てはめた考え方である。目や耳が不自由な方が展示を楽しむ選択肢を増やすため、さわって形を理解する展示や、音を使って大きさを認識する装置などにより、視覚だけでなく五感を使って資料に接することができれば、さらに感動も大きくなり、理解も深まるだろう。

 触れて聞こえる展示の例として岡本太郎記念館(東京)がある。岡本太郎は「作品は大衆の物で誰の目にも触れる場所にあるべき」という思想のもと、現前、自宅件アトリエであった太郎記念館は生前の太郎のアトリエがそのまま残されている。太郎記念館は作品の写真撮影はもとより、触れることも自由である。庭に《歓喜の鐘》が設置してあり、木槌で叩いて音を鳴らしたり、《座ることを拒否する椅子》に座ることができる。また、ICTにも大きな期待が寄せられている。展示や作品に関する説明はパネルなどの文字情報が基本になるが、視覚障害者、外国人など、パネルを読むことができなければ障壁となる。現在の博物館などでは、そういった場合に備えて、音声ガイドを使っている場合が多い。アーティゾン美術館(東京)ではスマートフォンのアプリでガイドを行なっている。美術館自身が自前のアプリを提供しており、ガイドテキストのみならず、音声も日、英、仏、中、韓と多言語にも対応している充実ぶりである。

 

 幼少、少年期に味わった学びの喜びが、生涯にわたり主体的に学びは続けることの喜びの基礎となると考えることができる。学びの喜びを味わうと同時に、美術館を含む博物館を利用する機会を得て、美術館で学ぶことの面白さに触れることは、生涯にわたり社会教育機関を有効に活用しながら学び続けることへの端緒となるのではないだろうか。博物館文化、及び生涯学習の意義が更に社会に浸透することで、生涯学習が人々のキャリアや余暇活動に良い影響を与えて人生を豊かにし、社会・経済の発展にも貢献するものであることが認知され、より豊かな社会づくりに寄与することができるだろう。

 

 

博物館と知的財産保護

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(約1500文字・購読時間1分50秒)

 人間の知的活動によって生み出されたアイデアや創作物などには、 財産的な価値を持つものがある。 そうしたものを総称して知的財産と呼ばれる。 知的財産の中には特許権実用新案権など、 法律で規定された権利や法律上保護される利益に係る権利として保護されるものがあり、それらの権利は知的財産権と呼ばれる。知的財産権制度とは、知的創造活動によって生み出されたものを、創作した人の財産として保護するための制度である。知的財産及び、知的財産権は、知的財産基本法において次のとおり定義されている。

 

「第2条 この法律で「知的財産」とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいう。

2 この法律で「知的財産権」とは、特許権実用新案権、育成者権、意匠権著作権、商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利をいう。」

 

 この法律の中から、博物館では著作権が大きく関係してくる。著作権とは、文芸、学術、美術、音楽の範囲において、作者の思想や感情が創作的に表現された・書籍、雑誌の文章、絵など作品を創作した者が有する権利であり、また、作品がどう使われるか決めることができる権利である。著作権法によると、著作物とは、思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」であるとされている。自分の考えや気持ちを他人の作品のまねでなく自分で工夫して、言葉や文字、形や色、音楽というかたちで表現したものということができる。上手だから著作物になるとか、下手だから著作物にならないというような区別はなく、この定義にあてはまるものはすべて著作物である。著作物は自分の考えや気持ちを他人のまねでなく自分で工夫して、言葉や文字、形や色、音楽というかたちで表現したものであり。それにはさまざまな種類があり、博物館に収蔵された資料のデータベースも著作権の対象となる。著作権制度は、このような著作物を生み出す著作者の努力や苦労に報いることによって、日本の文化全体が発展できるように、著作物の正しい利用をうながし、著作権を保護することを目的としている。

 また、付随するものとして二次的著作物が存在する。これは著作物をもとにして創作された著作物のことで、こうしてできた著作物も、もとになった著作物とは別に保護される。外国の小説を日本語に翻訳したもの、小説を映画化したもの、楽曲を編曲したものなどが二次的著作物である。二次的著作物を作る場合は、原著作物の著作者の許可をもらわなければならない。例えば、二次的著作物を利用する展覧会の図録を出版しようとするときには、二次的著作物の著作者の許可のほか、原著作物の著作者の許可も得なければならならない。

 通常、博物館の収蔵品として絵画が売買されても、売主から買主へ移転するのは、物としての絵画の所有権だけで、著作権は、著作権を譲渡するという契約が行われていなければ、著作権者が引き続き持っている。したがって、物としての絵画を購入しても、著作権者に無断でコピーなどは原則としてできないことになるが、美術の著作物等の原作品の所有者による展示については、展示権という例外がある。これにより所蔵品の展示は著作権者からの許諾は不要になる。

 

 

 

博物館における情報化

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(約3700文字・購読時間4分30秒)

情報管理、公開として

 文化遺産オンラインは文化庁が運営する、日本の文化遺産についてのポータルサイトである。2008年に全国の博物館・美術館にあるものを、画像込みで集めて、国民が喜んで使えるという目的で開設された。国や地方の有形・無形の文化遺産に関する情報を提供するサイトであり、全国の博物館・美術館等から提供された作品や国宝・重要文化財など、さまざまな情報を提供している。「時代から見る」「分野から見る」「文化財体系」「地図」というジャンル分けされており、解説付き・地図付きで掲載されている。どこかへ行くついでに、隣の美術館を見て見るなど、有形・無形文化財がどこにあるかなど、回遊することを支援するような仕組みになっている。更に、説明文もあるので、説明文の近さで検索することも可能である。シミラーファイブとして、関連する作品5つが並べられている。検索条件を無視して、美術館・ 博物館を越えて探せるので、思いがけない作品に出会うことができる。現在、写真ありが約2万点、文字情報のみのものを入れると12万点ほどの情報が登録されている。

 しかし、デジタルアーカイブは現在、公私で行われており、規格が違う上、どうしても国宝、重文優先になってしまう。前述の文化遺産オンライン以外にも、e-国宝、トッパン VRデジタルアーカイブGoogle Arts & Cultureなど、いくつものデジタルアーカイブが存在する。規格が違うということは、後々、その規格のファイルを開けるソフトが作られない、さらにソフトを動かすOSがなくなるという危険が常に付き纏う。せっかくデジタル化してもファイルの中身を見ることができなくなる。新たな規格ができたら、その度にファイル形式を変換をしたり、精度の高い機材が出来るたびにデジタルスキャンをし直さなければならない。また、CDなどの光学媒体も問題がある。材質の関係上30-50年程度で劣化し、データを読み出せなくなってしまいまう。もちろん、デジタルの良いところは、データは劣化しない、無限に複製出来る、物理的な場所を取らない、などあるが、まだまだ技術に進歩の余地があり、今、デジタル化したものが完璧というわけではない。将来より高精細、低容量、ハイスピード、更には匂いや触感なども記録、再現できる様になるだろう。現時点ではデジタル、アナログ、それぞれ一長一短があるので、両方をできるだけ有効活用して遺していくことが重要だと考える。

 

情報発信として

 SNSで話題になっている森美術館は新規の来場者を増やすために、SNSで発信・シェアされる工夫として、投稿しやすい空気を作るようにしている。具体的には、入口に写真撮影とハッシュタグ投稿を促すパネルを設置したり、公式SNSでも撮影OKであることを発信している。来場者に作品は写真を撮って、SNSに投稿してもいいんだと思わせるための仕掛けである。またSNSで展示に興味を持った人が、他の来場者の感想を検索しやすいようにしている。しかし、SNSを意識した展覧会の企画は行なっているわけではない。出来上がったものの魅力をきちんと伝える役割を担っている。集客や話題作りのために企画段階から介入してしまうと、そもそも作品の方向性が変わってしまう可能性もある。楽しみ方が一度分かれば、また行きたいと思ってもらえる可能性もある。森美術館が目指しているのは、アートそのものを楽しめる展覧会の開催である。アートの価値をなによりも大切にし、多くの人に魅力を伝えることを目的としている。現代アートに詳しくない人にとって、動機はともあれ美術展に実際に足を運んでみれば、それが現代アートの新たな魅力に気がつくきっかけになるかもしれない。もちろんインスタ映えするので若い人に広がりやすかった面はあると思うが、それだけでは説明できない点がある。インスタ映えだけなら、写真を撮ってすぐに美術館を去ってもいいわけだが、若い人たちも、初期の作品から熱心にじっくりとみる人が多かったという。同館歴代二位の来館者数をあげた「塩田千春展」では作品に通底する死の匂いも含め、塩田の作品群は決して明るくはなかった。そこに多くの若い人が来ることは世界各地の紛争やデモなども含め、社会の先が見えないという不安に共感しているのかもしれない。一方で、死を感じさせる作品から逆に生きようとするエネルギーを感じているのかもしれない。塩田の作品に多様される赤は、血液を象徴させていることが明確にわかる作品もあるが、自分と同じような痛みを感じられることが、特に女性の心を惹きつけ、共感を呼ぶことにつながったのかもしれない。

 基本的に特別・企画展は新聞社やテレビ局が主催の場合はCMを大量に流したり、特別番組を放送したり、会場のガイド音声に有名人を使ったりと、客を呼び寄せるために色々やっているが、ビジネスの印象が拭えない。テレビCMや交通広告の物量作戦やSNSでのバズりは一時的に人の目を引くことは可能だが、流行りが去ればすぐに別の話題に移ってしまう。残念ながらこういった施策では一過性のもので終わってしまい、芸術を楽しむ心を育むのは難しいだろう。

 

展示、教育として

 展示や作品に関する説明はパネルなどの文字情報が基本になるが、それだけでは、説明しきれなかったり、一箇所に人が集中してしまう懸念がある。そこで、補足の説明では音声ガイドを使っている場合が多い。大型の企画展では著名人が案内役を務めたりするなどすれば、一定の広告効果も期待できる。一方、アーティゾン美術館ではスマートフォンのアプリでガイドを行なっている。美術館自身が自前のアプリを提供しており、ガイド以外にもチケット予約や、館内のマップ、ラーニングプログラムや今後の展示予定などのニュースも提供されている。多言語にも対応している充実ぶりで、まさに、近未来の美術館を体現したかのようである。ほかには、大きな資本のない博物館などは早稲田システム開発株式会社が開発したポケット学芸員というアプリの利用が見られる。ポケット学芸員は、ミュージアムなどの展示をはじめとするさまざまな情報を案内するアプリである。展示の鑑賞、文化財の見学などの際に対象物につけられている番号を入力すると、テキストや音声、画像や動画で解説や関連情報を得ることができる。得られる情報の種類は館によって異なるが、情報内容は各館に委ねられており、情報不足は否めない。

 

 美術館や博物館で、作品や資料といったものと来館者を繋ぐ場を創りだす学芸員は、さまざまなものと人を媒介する役割を持つ、すなわちメディアともいえる。学芸員という仕事自体が、まだ一般的にはメジャーではないといった一面も否定は出来ない。しかし学芸員の仕事が面白みに溢れており、また社会的にも重要だという認識が少しずつではあるが、世の中に浸透してきているとも捉えることができる。最近では、物質的な充足感を求めるだけでなく、ここ日本においても精神的な満足感を追求し、充実した生活スタイルを目指そうという人達が増えてきている。こういった社会の現象が美術品や歴史資料といった文化財への関心の高まりにも繋がっているのだろう。このような社会背景の中で、美術品や歴史資料といった文化財と来館者の間に立って、ものと人の世話をする学芸員の仕事の存在が注目されてきたというのが実情だといえる。近年、美術館や博物館は貴重なものを保管し展示するだけの施設ではなくなってきている。利用者側はもちろん展示を楽しみにして施設を訪れるが、美術や歴史に関する情報を手にする場としても捉えている。つまり収集したものを展示するベースは残しつつも、ものに関わる豊富な情報の発信源としても機能することが求められているといえる。現代では、美術館や博物館の存在そのものが情報の発信地としてメディア化しているのである。美術館や博物館そのものがメディアとして機能している今日において、学芸員は情報の伝達者、すなわち媒介者=メディアとしての重要な役割を担っているともいえる。学芸員は研究や調査を通じてさまざまなものから自ら情報を知るだけでなく、こうした情報を一般の人々に対して発信していかなければならない。ものから受信したさまざまな意味や世界観を展覧会や論文を通して、世間に伝えていくことが大切になる。ものに対して愛情を持ちこだわりを大切にしながらも、ものが持っている内に秘めてた情報を世間に発信していく場を作っていくということを考えれば、メディアと解釈してもいいだろう。

 

参考文献

『新しい博物館学』全国大学博物館学講座協議会西日本部会編(芙蓉書房)

 

新しい博物館学

新しい博物館学

  • 芙蓉書房出版
Amazon

 

『新時代の博物館学』全国大学博物館学講座協議会西日本部会編(芙蓉書房出版)

 

新時代の博物館学

新時代の博物館学

  • 芙蓉書房出版
Amazon

 

『シェアする美術 森美術館SNSマーケティング戦略』洞田貫 晋一朗(翔泳社

 

 

『美術展の不都合な真実古賀太新潮新書

 

 

博物館によるデジタルアーカイブ構築の意義

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(約1700文字・購読時間2分10秒)

 博物館は文化財保護法第1条にその目的を「文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献すること」と規定しており、保存と活用は文化財保護の重要な柱と考えられている。保存と活用を共に尊重し、文化財の継承と地域の持続的な維持発展を共に目指すことが必要である。長い歴史の中で伝えられ、守られてきた文化財は、我が国の歴史や文化の理解に欠くことのできない、かけがえのない貴重な遺産である。精神的、物質的な豊かさの基盤として地域や国の歴史や文化そのものであるとともに、国際的な交流の中で文化的多様性の理解、対話、協力に貢献しうるものである。一方、社会構造や価値観の変化、過疎化や少子高齢化などが進む中で、これまで文化財を守ることで伝えられてきた伝統的な知と技だけではなく、文化財を国民、社会の宝として、様々な形で共有し、適切に活用することを通じて新しい文化の創造を促進していくことが求められている。

 しかし、文化財の保存、展示には限界がある。空間的制約、物自体の制約があるうえ、文化財への負荷をかけることは避けられない。そこでデジタル化して蓄積しておき、必要に応じて検索し表示できるシステムの構築が望まれる。デジタルアーカイブとその共有である。各機関が自らのデータベースのデジタル化をおこなえば、ネットワークにより、それを統合したデータベースを構築することが可能になる。

 例として文化遺産オンラインは文化庁が運営する、日本の文化遺産についてのポータルサイトをあげる。2008年に全国の博物館・美術館にあるものを、画像込みで集めて、国民が喜んで使えるという目的で開設された。国や地方の有形・無形の文化遺産に関する情報を提供するサイトであり、全国の博物館・美術館等から提供された作品や国宝・重要文化財など、さまざまな情報を提供している。「時代から見る」「分野から見る」「文化財体系」「地図」とジャンル分けされており、解説付き・地図付きで掲載されている。現在、写真ありが約2万点、文字情報のみのものを入れると12万点ほどの情報が登録されている。

 これらは現在2次元的な表面を撮影した情報にとどまっている。文化財のデジタル化は2次元ばかりではなく、3次元のものも重要である。将来的には内部講造や赤外線を使った映像などの記録が役に立つだろう。CTのような装置や材質分析にしてもその成分分析の結果を数値として記録するにとどめず、グラフ的な表示デ ータをそのまま残していくということも必要だろう。将来的には数値、文字、画像、音響、などすべてにわたってその媒体の違いを意識しないで扱えるデータベース構築が理想である。

 一方で、懸念点も存在する。デジタルアーカイブは現在、公私で行われており、文化遺産オンライン以外にも、e-国宝、トッパン VRデジタルアーカイブGoogle Arts & Cultureなど複数存在する。これらは規格が違う上、どうしても国宝、重文優先になっている。規格が違うということは、後々、その規格のファイルを開けるソフトが作られない、さらにソフトを動かすOSがなくなるという危険が常に付き纏う。せっかくデジタル化してもファイルの中身を見ることができなる。新たな規格ができたら、その度にファイル形式を変換をしたり、精度の高い機材が出来るたびにデジタルスキャンをし直さなければならない。さらに、CDなどの光学メディアは媒体にも問題がある。材質の関係上30-50年程度で劣化し、データを読み出せなくなってしまう。もちろん、デジタルの良いところは、データは劣化しない、無限に複製出来る、物理的な場所を取らない、などあるが、まだまだ技術に進歩の余地があり、今、デジタル化したものが完璧というわけではない。より高精細、低容量、ハイスピード、更には匂いや触感なども記録、再現できる様になるだろう。現時点ではデジタル、アナログ、それぞれ一長一短があるので、両方をできるだけ有効活用して遺していくことが重要だと考える。