今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

京都の歴史 平安京遷都

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(約1250文字・購読時間1分30秒)

 平安京遷都は、天皇はもちろんすべての貴族・豪族達も移動させるという大規模なものである。政治と仏教の分断、人心の刷新などが考えられる。奈良の平城京では都を平城京から移さざるを得なかった深刻な問題が起きていた。古くからの勢力が幅をきかせ政治が乱れていたことである。古くからの勢力の1つは、仏教勢力で、平城京では仏教は国によって手厚く保護されていたが、そのうち僧の道鏡など力を持つようになった僧の中で政治に介入し始め、天皇の座につこうとする事件も発生し、政治が大混乱する事態となった。問題になったもう1つの勢力は、奈良を根城にする豪族たちで、彼らの支配する土地は朝廷の権限が及びにくくなっていた。朝廷が力を取り戻すためには、こうした豪族たちを本拠地から切り離すことが必要だった。そこで桓武天皇は、古い勢力が根を張る奈良の平城京を離れることで政治を一新しようとした。奈良末期の混乱した政治状況下で、桓武天皇天武天皇系の政権を支えてきた貴族や寺院の勢力が集まる大和国から脱して、新たな天智天皇系の都を造る意図で延暦3年(784年)に平城京から長岡京を造営して遷都し、その9年後の延暦12年(793年)、再遷都を宣言する。

 新都建設地の選定に密かに入った桓武天皇は、延暦11年(792年)の1月と5月に、狩猟をよそおって、候補地のひとつ山背国葛野郡宇太村を訪れた。『日本紀略』には「葛野の地は山や川が麗しく四方の国の人が集まるのに交通や水運の便が良いところだ」という桓武天皇勅語が残っている。山背国葛野・愛宕両郡にまたがる地に宮と京を合わせた全体が東西約4.5キロ、南北約5.2キロの規模の都市が計画された。新都市建設計画、遷都計画が動き出すと同時に長岡京の取り壊しが始まり、遷都にあたって山背国は山城国と改められた。

 平安京の計画の大枠は基本的に中国の隋・唐の長安城を手本としたものであり、長安を模した日本の平城京を踏襲したものでもある。同様に長安城を手本とした平城京はまだ過渡的要素が多かったので、平安京のほうがずっと整ってきている。都の中央を貫く朱雀大路の一番北に、皇居と官庁街を含む大内裏が設けられて、その中央には大極殿が作られた。その後方の東側には天皇の住まいである内裏が設けられた。内裏を挟んで北に大蔵の建物があり、南に太政官民部省式部省などの役所がある。政治を行う朝堂院を中心にして国の役所が建ち並ぶ区域を宮といい、その外に貴族を含めた人々が集まる街区が設けられ、これを京といった。長岡京同様、ここでも官寺である東寺と西寺を除き、新たな仏教寺院の建立を認めなかった。尚、大内裏の中で唯一、真言院という仏教施設があるが、空海の力による特別な施設と見られる。

 それまでの都は十年から数十年という短さだったが、平安京とその後身である京都は、その後も千年以上という永い間、日本の首都であり続けた。これほどの長期間、ひとつの文明の中心として地位を保ち続けた都市は世界でも珍しいものである。

 

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ゲームと著作権について

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(約1800文字・購読時間2分20秒)

 2019年暮に任天堂が著作物利用ガイドラインを発表し、事実上、個人のゲーム実況動画と収益化を解禁した。近年動画配信サイトの普及により、ゲームのプレイ動画配信が人気を博ている。十年ほど前と現在では取り巻く環境が全く違う。ネットワークの発達により、ゲームを一人でプレイするものから、みんなでプレイする。さらには、上手なプレイをみる、人気プレイヤーを応援するといったプロスポーツの観客のような新しい楽しみ方が生まれている。一方、開発者側は、自分の作ったゲームは多くの人に知って、楽しんでもらいたいと思う。有名実況者にプレイしてもらえれば多くの人にゲームの楽しさが広まってくれるという感謝の気持ちがある。しかし、ゲームの映像や音楽は著作権があり、ネットで流れてしまうことは問題でもあるし、ネタバレにもつながり、逆に売り上げが下がってしまうのではないかという心配もある。これについては間違いなく開発側も一枚岩ではないので、感情論と法律の違いをはっきりさせておきたい。

 前提として、ゲームは著作権法では「映画の著作物」として扱われる。ゲーム実況は映画の違法アップロードと同様にゲームの内容そのものを送信するため、いわゆるネタばれに繋がり、ゲーム実況を見てしまったことで満足し、視聴者が実際にゲームを購入しないという状況が起こり得てしまう。一方で「ゲーム実況によって、ゲームの認知度が高まり宣伝効果が出ているのだから、多めに見るべき」との意見もある。

 著作権法の第21条に「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する(公衆送信権等)」とあり、ゲームの内容を複製して良いのは原則としてゲームを作った著作者(ゲームパブリッシャー)のみとなる。また、著作権法の第23条1項に「著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあっては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する」とあるように、公衆への送信も原則として著作者のみに認められている。この公衆送信とは、映画の場合の劇場公開や「映画の著作物」であるゲーム動画のネット公開に該当する。つまり、ゲームの動画をネットで公開して良いのは著作者(ゲームパブリッシャー)のみ、ということになり、ゲームを購入したユーザーにはその権利がないことになる。しかしながら、ゲーム実況が人気を博し、その宣伝効果が無視できなくなりつつある昨今、ゲームメーカーによっては、ゲーム実況動画の投稿を許可しているケースも少なくない。

 有名パブリッシャーであるほど、多くの資金と時間を投入して開発をしたゲームがあっさりネットでネタバレされるのは面白くないと考える傾向にあるようだ。しかしながら、ゲーム実況が人気を博し、その宣伝効果が無視できなくなりつつある昨今、会社によっては、ゲーム実況動画の投稿を許可しているケースも少なくない。任天堂以外では、PS4にはシェア機能が搭載されており、ゲーム実況動画の投稿が認められているソフトに関しては、コントローラーのシェアボタンを押すことでYouTubeなどの動画投稿サイトでライブ配信を行うことが可能となっている。スマートフォンのゲームアプリは、ミクシィの『モンスターストライク』をはじめ、ゲーム内からゲーム実況が可能なタイトルも多い。こうした超大手のガイドラインが指針となって中小以下のゲーム会社も似たような形に落ち着いていくだろう。

 知人のゲームクリエイターが開発に携わったいたゲームはとてもではないが、有名なゲームとはいえないので、とにかく知名度が低い。しかし、プレイさえしてもらえれば、面白さは保証するという。やはりタダでも有名実況者にプレイしてもらい、多くの人に知ってもらいたいという気持ちが強い。ネタバレ上等、お金を払ってでもプレイしてみたい、楽しみたいと思ってもらえるようなゲーム作りをしているつもりであるとのこと。しかしながら、やはりユーザーも好きなゲームで問題を起こしたくないと考えるのか、リテラシーが高い人もおり、ネットでの利用に関して律儀に聞いてくることがままあるそうだ。会社としてははじめのうちは感知しないといった対応だったが、最近ではガイドラインを設けて、出来るだけユーザーの気持ちに沿ったかたちで寛容な対応をしているという。将来的には全員が得するようなフォーマットができればいいと切に願う。



参考文献・URL

『すごいぞ!はたらく知財 14歳からの知的財産入門』(2019年、晶文社

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知的財産権制度入門(2019年)」特許庁Webサイト

https://www.jpo.go.jp/news/shinchaku/event/seminer/text/2019_syosinsya.html

 

Japanese Law Translation

著作権法

http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?id=3379&vm=01&re=

 

電子政府の総合窓口

著作権法

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=345AC0000000048

 

書評 岡本太郎『沖縄文化論』

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岡本太郎『沖縄文化論』
(約1200文字・購読時間1分40秒)

 東京から初めて沖縄に降り立った岡本太郎(1911-1996)は、王朝文化、戦争、占領、基地など、さまざまな沖縄の生々しい現実を目のあたりにした。何か芸術家としてのインスピレーションを与えてくれるはずだった沖縄で岡本が達した結論は、文化、文明として大成されたものは沖縄にはなかった、ということである。岡本にとって沖縄を感じさせるものは、首里城琉球王に関する焼き物など文化財のようなモノではない。実在感がないものに感激したのだ。

 岡本がいかに自分のものさしというものをしっかり持っていたかがよく分かる。岡本が優れていると思うもの、美しいと思うものについての持論は、常人には思いもしない方向から展開されていく。沖縄に残る土着の信仰、素朴なシャーマニズムのつぶさな観察から、我々本土の文化や、意識にもかすかに残っている昔ながらの自然の見方、考え方、信仰を再発見していく。こうした原初信仰のようなものが、本土では、あとから入ってきた宗教や氏族権力にまみれて、大げさで俗っぽくなっていった。この過程を、沖縄で発見した非常に素朴な自然信仰との対比から想像してみせ、ピュアな力強さ、信仰、表現、美とはどんなものかということを考えている。岡本の芸術のテーマそのものでもあるようなのだ。

 今日、文化や芸術は西欧近代思想の体系によって意識されている。美しいものではあっても、そう表現してはならないところに沖縄文化の本質がある。生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの、美的価値だとか凝視される対象になったとたん、その実体を消失してしまうような生命の感動がある。岡本が沖縄から受けたショックは縄文同様、ある種の原点回帰であって、沖縄を知ることで日本を知り、そして自分が何者かであるかを知ることで一貫している。ありがちな、沖縄に何かをしてあげるという視点ではなく、沖縄を通して日本を、自分を問う試みである。答えを真っ正面から求めれば求めるほど、つかむもの、形がないのが沖縄だったのだ。岡本が全身で受けた底知れない感覚は、沖縄最高の聖地があるといわれる久高島で、何もないこと、物を持たないことの素晴らしさであった、ということである。

 日本の古代も神の場所は、清潔に、なんにもなかったのではないか、という岡本のこの直感はおそらく当たっている。日本の神社の多くが、縄文以来の先住の民による原始神道として、沖縄と同じく山や、巨木、巨石などをひもろぎとしたりする、もともとは邁拝所であったと思われる。聖地を突き詰めると、つまるところ何もない。神との対話に邪魔になるだけだとして、何もない状態こそが人と神を一直線で結びつけるのである。

 そして、沖縄はあくまでも沖縄であるべきであり、沖縄の独自性を貫く覚悟をすべきである。決して、いわゆる「本土なみ」などになってはならない。沖縄にこそ日本文化の純粋で強烈な原点がある。岡本は「本土が沖縄に復帰するのだ」と1972年の本土復帰当時の沖縄が抱える問題を射抜き、これらの課題を解決するのは沖縄自身なのだと解いた。

 

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コロナ禍で厚生労働省の発表した“3密”を真言密教が批判しないのはなぜか

 

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(約1400文字・購読時間1分50秒)

 政府の発表した“3密”は既知だが、密教にも“三密”という言葉があることを知っている人もいるだろう。一部で「3密と軽々しく言うな、高野山は文句を言わないのか」という意見がある。“3密”とも表記される“3つの密”は2020年の新型コロナウイルス感染症拡大期に集団感染防止のため総理大臣官邸・厚生労働省が掲げた標語である。

1.密閉空間(換気の悪い密閉空間)

2.密集場所(多くの人が密集する場所)

3.密接場面(間近で会話や発声をする密接場面)

以上、密閉・密集・密接を避けるよう日本全国に要請している。厚労省の“3密”と密教の“三密”の意味と利用について考察する。

 

 仏教は成仏を目指す、すなわち悟りを開いて仏様になることが目的。民衆を救い、密教を広めるために尽力した空海こと真言宗の宗祖・弘法大師が伝えてきた密教の教えとは密教以外の仏教、顕教と対比することにより明確にしている。顕教では悟りに到達するまでに気の遠くなるような時間を要するとしているのに対して、密教では今ある肉身のままで生きたまま、この身で仏様になる直ちに悟りに至ることができる即身成仏を説いた。

 真言密教の修行を三密の行といい、修行が目指すものを加持という。“三密”は、仏教では、生命現象はすべて身、口、意という三つのはたらきで成り立っていると説く。顕教では、人間のこれら三つのはたらきは、煩悩に覆われ汚れているということで三業と呼んでいるが、法身である大日如来を宇宙の根源的な生命力とみなし、森羅万象を大日如来の現れと説く密教では、人間の三つのはたらきも大日如来の現れであるから、本質的には人間も大日如来と同じであるとしている。ただ、大日如来のはたらきは通常の人間の思考では計り知れないということから、密なるものという意味で“三密”と呼んでいる。

三密の修行とは、

・身密 からだ・行動の教え

・口密 ことば・発言の教え

・意密 こころ・考えの教え

この三密を大事に修行を重ねてゆくことが真言宗の根本である。

 一方、コロナ禍で広まっている“3密”とは日本における新型コロナウイルスの集団感染が起こった場所に、前記の3つの密が共通となっているということが分かり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を出来るだけ防ぐためを避けるためにもこの“3密を控えるようにすることを求めた。英語版と中国語版も作成しており、英語版では“Three Cs(Closed spaces・Crowded places・Close-contact settings)”、中国語版では日本語版と同じく“3密(密閉空间・密集场所・密切接触场面)”とし、世界中で認識されるに至っているとの認識を述べ、日本モデルの対外への効果も目的とされた。

 このように、政府が発表したのは“3つの密”であり“3密”は略表記であるうえ、英数字の3を使っているため、密教の“三密”を知った上で語呂の良さを利用し“3つの密”を標語として掲げたと推測する。また、裏で真言密教側と打ち合わせ“3つの密”の利用に関して話しをしている可能性も否定できない。

 どちらにせよ民衆を救うために尽力した空海、そして仏教の本質を考えれば、言葉尻を捉えて異を唱えるよりも、民衆の生命を守る事に繋がる“3つの密”を避ける意の“3密”を避ける事を広めた方が良いと考える。

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美術批評 エッシャー時代のアートと科学的評価

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M.Cエッシャー『昼と夜』
(約1600文字・購読時間2分00秒)

 M.C.エッシャーリトグラフ《物見の塔》(1958年 462x295mm イスラエル博物館所蔵)、同じく、リトグラフ《滝》(1961年 380x300mm イスラエル博物館所蔵)が制作された時代は伝統的な絵画表現から離れて、新たな表現手法が多数生まれた時代である。

 1960年前後は、抽象表現主義構成主義といった、従来と全く異なった芸術形態がヨーロッパ中で進展し始めた時期だった。キネティックアートは計算不能な偶発的な動きである自然の風力など自然の力によるもの、人力によるもの、作家によって計算された電力や磁力によるもの、物理的な動きを導入したモーターなどによる運動や光、音なども取り入れた動く美術作品または動くように見えるものを取り入れた芸術作品の総称である。カラー=フィールドペインティングはキャンバス全体を色数の少ない面の領域が画面のなかで大きな割合を示す、色とそれが付与される場としてのキャンバスの面を重要視した絵画作品で、強度を持つ色の使用、奥行き排除によって絵画を一つの面として統合するスタイルの抽象絵画である。ポップアートは大量生産・大量消費社会をテーマとして身近な暮らしの中にある商品や大衆に共通するイメージなどのモチーフを素材として扱い表現し、伝統的なファインアートへの挑戦であり、文化的に強烈でディストラクティブな活動で、とても画期的だった。

 エッシャーは、自分自身のイメージの世界と美術界の流れとは共通項がほとんどないことを認識していた。しかし、50年代になって全く新しい大衆が彼の作品に関心をもつようになった。この傾向は、国際的な規模で起こり、『タイム』誌、『ライフ』誌などの好意的な記事より、科学者の注目を集めることとなった。知覚心理学者からの提言から《物見の塔》、《滝》の中に図形が導入されたり、数学者との交流によって促進されたものである。エッシャーは、抽象的構図の中に一貫して見て判断できる絵柄の要素を使用していることから、結果的には、その図形が科学的理論を例証するのに大いに役立っている。幾何学、物理学、化学、地質学、心理学、生物学での教材には、彼の図形をそっくり真似て採用しているものも見られる。エッシャーが追求したのは幾何学的、数学的に整合性が取れた表現は、同時代のメインストリームと接続されることはなかったが、彼は版画の中で、伝統的な絵画的技法を用い、独自の表現方法を確立しており、視覚的要素を用いた平面での表現芸術で、その絵の世界に現代的なイメージを呼び起こし、さらに諸々の異なった現象に新しい論理的な前後関係を組み立てようとも試みている。制作物が多数の複製として企てられるグラフィック・アーティストではあるが、二次元の平面上に、自らを無限にまで拡大した一つの宇宙を創造しようとした。作品を通して、眼に見えるものは見えるがままのものではなく、抽象という主張が有効で認め得るものである、ということを教えてくれる。芸術家と科学者を兼ね備えたエッシャーの多くの作品は、美術家同様、数学者たちに対してもインスピレーションを与えた。知覚作用の法則を覆し、三次元の現実をなきものにして、視覚的なパラドックスにおいては誰にも追従を許さない芸術家となった。

 エッシャーは生涯にわたり、版画家であり続けた。彼の作品は瞬間的に見てとらえられるものではなく、 終りのない世界の無限と動きへの橋渡しをなしている。ネッカーのキューブ、ペンローズの不可能な三角形、など、不可能性は観察者にとって客体の揺らぎに関係する。エッシャーは、感覚的自己の相対性がどの他者にも発生しているという視点をオブジェ化する。ただし、知覚作用に依存しただけのだまし絵とエッシャーとの差異である、真の不可能性は不可視であるという哲学的テーマに関連しているため、平面での表現に限定した。

 

参考文献

エッシャー展 1977』(東京新聞、1977年)

M.C.エッシャー展』(日本海外美術株式会社、1976年)

M.C.Escher (Icons S.)』(タッシェン・ジャパン、2006年)

M.C. Escher: Life and Work』(Harry N. Abrams, Inc.、1992年)

甲賀コレクション M.C.エッシャー生誕100年記念展』(甲賀正治、1996年)

『生誕120年イスラエル博物館所蔵 ミラクエッシャー展』(産経新聞社、2018年)

ハウステンボスコレクション M.C.エッシャー展』(ハウステンボス美術館、1994年)

青柳正規他『西洋美術館』(小学館、1999年)

高階秀爾監修『カラー版 西洋美術史』(美術出版社、1990年)

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千速敏男『日本で見られる西洋名画の傑作Best100』(日経BP社、2014年)

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水野千依編『西洋の芸術史 造形篇Ⅰ 古代から初期ルネサンスまで』『西洋の芸術史造形篇Ⅱ 盛期ルネサンスから十九世紀末まで』(藝術学舎、2013年)

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M.C.エッシャー公式サイト

mcescher.com

ネッカーの立方体 

www.weblio.jp

ペンローズの“不可能な三角形”

www.weblio.jp