今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

バンクシーを美術館に展示するとき、私たちは何を展示しているのか

(約1600文字・購読時間3分)

もし美術館がバンクシーを展示するなら、まず最初に掲げるべき説明文はこれだと思う。

「この展示は、ストリートアートの勝利ではなく、美術制度の吸収力の展示である。」

これは皮肉ではない。むしろ、美術館にいる人間としての率直な自覚である。バンクシーという存在は、もともと制度の外部に立つことで成立していた。
無断で壁に描かれ、匿名であり、所有者も作者も不確定なまま都市に残される。その行為は、美術館という制度の外側で成立する表現だった。しかし現在、その作品は壁ごと切り取られ、警備付きの展示室に収まり、数十億円単位の価格で取引されている。ここで起きているのは、ストリートアートの勝利ではない。制度による回収である。

社会学者のピエール・ブルデューは、文化の価値がどのように成立するかを「文化資本」という概念で説明した。またハワード・S・ベッカーは、芸術作品とは個人の才能の産物ではなく、制度・市場・批評・観客といったネットワークの中で成立する「アート・ワールド」の産物だと述べている。この視点から見れば、バンクシーの作品が高額で取引される理由は、作家の才能だけでは説明できない。それを「芸術」として認証する制度――美術館、オークション、メディア、コレクター――の連携があって初めて、その価値は成立する。バンクシーの成功とは、制度の外部からの勝利ではなく、制度が反抗そのものを価値に変換した最も鮮やかな事例でもある。その象徴が、2018年のオークション事件だった。Love is in the Binは、落札された瞬間、額縁に仕込まれたシュレッダーによって裁断された。この出来事は市場への攻撃のように見えたが、結果として作品の価値はむしろ上昇した。つまりここで起きたのは、市場の破壊ではない。市場を舞台にしたパフォーマンスだった。

そして市場は、その反抗さえも価値へと変換した。制度は批判を排除しない。むしろ批判を取り込み、無害化し、最終的には商品化する。これが文化制度の持つ、極めて強力な仕組みである。では、こうした状況で美術館がバンクシーを展示することには、どんな意味があるのだろうか。率直に言えば、作品を並べるだけの展示にはほとんど意味がない。それは単に「本物を見た」という満足を提供し、神話の消費に加担するだけだからだ。もし展示に意味があるとすれば、それは作品ではなく、現象そのものを展示するときだろう。

壁画が発見されるニュース。
壁を切り取る所有者。
それを巡る法的議論。
メディアの報道。
オークション価格。
観光地化する街。
そして、それを展示する美術館自身。

つまりこの展示で最終的に露出するのは、作品ではなく、作品を芸術へと変換する制度そのものだ。しかしここで、さらに厄介な問題がある。美術館が制度の矛盾を展示するとき、その行為自体が「自覚的な美術館」という新たなブランド価値を生み出してしまうからだ。制度は批判を回収する。そして時には、自己批判さえも回収する。この矛盾に対する完全な解決策を、私は持っていない。おそらく多くの学芸員も持っていないだろう。それでも一つだけ言えることがある。この構造を無視したまま展示を作るより、
その矛盾を展示の中に露出させる方が、まだ誠実だということだ。

そしてもう一つ忘れてはならないのは、今この瞬間も街で描き続けている無名のグラフィティ・ライターたちの存在である。彼らにとって、バンクシーが美術館で展示されることは、ストリート文化の勝利ではない。むしろ逆だ。一部の作品だけが「芸術」として回収され、残りは依然として違法行為として排除される。制度は反抗の中から安全な部分だけを切り出し、文化資産に変える。そして残念ながら、私たち学芸員もまた、その構造の一部にいる。だからもしバンクシーを展示するなら、私は入口に次の一文を置きたい。

「ここに展示されているのは作品ではない。作品を芸術にしてしまう社会の仕組みである。」

 

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参考文献・脚注

本稿の議論は、芸術社会学およびストリートアート研究における既存の議論を参照しながら構成されている。以下に主要な参照文献と事例を示す。

[1] 芸術制度と文化資本

本稿で述べた「芸術の価値は制度によって成立する」という視点は、社会学者のピエール・ブルデューによる文化資本および文化生産の理論に基づく。

ブルデューは、芸術の価値が作家の才能だけで決まるのではなく、教育、批評、メディア、美術館、市場などからなる「文化生産のフィールド」によって構築されることを示した。

主要文献

  • Pierre Bourdieu, Distinction: A Social Critique of the Judgement of Taste, Harvard University Press, 1979

  • Pierre Bourdieu, The Field of Cultural Production, Columbia University Press, 1993

[2] 芸術を成立させる「アート・ワールド」

芸術作品を社会的ネットワークの産物として理解する視点については、社会学者のハワード・S・ベッカーの研究を参照している。

ベッカーは『Art Worlds』において、芸術作品は単独の作家によって生まれるのではなく、作家、技術者、流通、批評家、観客などが形成する協働ネットワークによって成立すると論じた。

主要文献

  • Howard S. Becker, Art Worlds, University of California Press, 1982

[3] バンクシーのオークション事件

本文で言及した裁断事件は、2018年にオークション会社Sotheby'sロンドンで発生した。

落札直後、額縁に仕込まれたシュレッダーによって作品が裁断され、その後この作品は《Love is in the Bin》として再定義された。この出来事は、美術市場とアートパフォーマンスの関係を象徴する事件として広く議論されている。

主な報道・資料

  • Sotheby's公式記録(2018)

  • BBC News, “Banksy painting shredded after £1m sale”, 2018

[4] ストリートアート研究

ストリートアートと制度の関係については、以下の研究を参照した。これらはグラフィティ文化が都市空間、制度、観光産業、アート市場とどのように関係してきたかを分析している。

主要文献

  • Cedar Lewisohn, Street Art: The Graffiti Revolution, Tate Publishing, 2008

  • Rafael Schacter, The World Atlas of Street Art and Graffiti, Yale University Press, 2013

補足

本稿は特定の作家論ではなく、バンクシーという事例を通して「芸術制度がどのように反抗を吸収するのか」という問題を検討することを目的としている。そのため、作品解釈よりも制度・市場・メディアを含む文化生産の構造に重点を置いている。