今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

明治維新による教育の変化

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 明治時代以降の学校とは一定の教育目的を達成するために、継続的、計画的に教育活動の営まれる組織であり、教育をする者、教育を受ける者、および教育活動に必要な施設設備を中心に構成される。教育は、もともと人間のあらゆる生活活動のなかにいつも存在するものであり、人間が社会生活を始めて以来、今日に至るまで連綿と継続してきたものである。そのような教育は、社会生活の変遷を通じて、直接的、間接的になんらかの方向に無意図的に人間形成が行われてきた段階から、次第に一定の目的と形式のもとに営まれる意図的な形成作用を含むような段階にまで到達するようになった。なんらかの教育目的を達成するためには、一定の期間に、継続的にまとまった教育の行われる場を必要とする。その場は、教育目的がより能率的合理的に実現できるように、整った教授組織や学習計画をもち、それに見合った施設や設備が用意された。社会的作用・社会的活動としての教育は、個人、家庭、小集団、地域社会、国家社会などにもみられるが、現代では学校が教育制度の中核的役割を担っている。これが明治以降の学校である。

 江戸時代の寺子屋は百姓町人に対して、町や村に居住し家族を養うため家を持ち自立を促す政策が幕府によって進められた。家を守り、永続させるためには子どもを一人前の成人に成育させ、立派な後継ぎにしなければならない。読み書き算用を習得させたいという庶民の教育熱が高まり、寺子屋が津々浦々に誕生していった。幕府は関与しないため、寺子屋は許認可の必要なく自由に誰でも開業できた。就学の義務はないが、授業料を支払ってでも子どもに文字文化を習得させたい親の熱意によって支えられ、子どもを一人前の人間にするための教育システムであった。

 教育という事業が社会的に広く有用であると認められるようになれば、それが営まれることはしだいに社会的な慣行となって定着する。さらに社会の発展に伴い、より組織的体系的な教育が要求されるようになると、国家はそれに必要な法律を制定して、教育機関の設置や運営を図ろうとする。そのような教育の場が、現在の学校である。学校の発達する過程において、一つの学校だけでは社会の多様な教育要求を満たすことができなくなると、さまざまな教育目的をもつ学校が、さまざまな系統や段階に組み合わされて一つの学校体系を構成する。近年では小学校と中学校とでは、学校教育に対する保護者の期待の構造が異なっている。中学校よりも小学校の保護者のほうが多様な期待をもつ傾向があり、逆に、中学校の保護者は焦点を絞った期待をもつ傾向にある。

 

江戸の教育力 近代日本の知的基盤 | 大石 学, 東京学芸大学出版会編集委員会, (表紙デザイン)正木 賢一 |本 | 通販 | Amazon