今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

芸術鑑賞 M.C.エッシャー《物見の塔》

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M.Cエッシャー『物見の塔』(1958年)
(約2000文字・購読時間2分30秒)

 リトグラフ《物見の塔》(1958年)オランダの画家である、 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898年-1972年)によって制作された。二次元の絵だが、 遠近法による描写を見なれているヨーロッパの人の目には、三次元の対象を描写しているように見える。

 

「遠方に雪山を臨み、やや古風な衣装を着た人物たちが登場する2階建ての塔は、一見すると何の変哲もない構造のように見えるが、現実には存在し得ないものであることが分かる。」(参考文献『ミラクエッシャー展』より)

 

 中央の大きな梯子は、まっすぐに立っているように見える。ところが、その上端は『物見の塔』の外側にかかっているのに、足元は建物の内側に立っている。中央の建物の内側からまっすぐ立ち上がった梯子が、同時に外壁に面して立てかけられているのである。下からみると内側にいるが、上からみると外側にいる。梯子の途中の段に立っている人には、自分が外にいるのか屋内にいるのか説明もできないだろう。

 これと同じ原理がの三階すべてに採用されている。建物の基礎の部分は画面左手前から右奥へと斜めに展開しているが、屋根を見ると、この建物の基礎は向かって右奥から左手前側へと展開している。

 この作品を中心から水平に切断してみると、上半分、下半分ともにまったく正常なことがわかる。絵の上半分を隠してみると、下半分に変わったところは全くないし、その逆もいえる。それを結び合わせたものは、平面の上でしか達成できないものなのである。不可能性を生み出しているのは、単にこの二つの部分の結合の仕方にあったわけである。このリトグラフ作品が試作が行われていた当時、 その建物はよく“幽霊屋敷”と呼ばれていた。だが、最終的に完成した作品には、気味の悪い雰囲気などまったくなかったために、 あとで題名を変えたものであるが、不可能な建物であることに変わりはない。どんな三次元の現実空間でも、その現実感は平面上に投影できるものだと考えられている。一方、再現されたもののすべてが、必ずしも三次元的な現実の投影であるとは限らない。このことは、『物見の塔』の中で明らかにされている。つまり、一見確かに建物の投影像とみえるのに、作品に描かれたような建物は決して存在し得ないということである。

 「さらに画面左手前側を見ると、描かれた空間の非合理性を象徴するかのように、ベンチに座る男は、立方体の木枠のようなものを手にしているが、これも構造上あり得ない形をしている。」(参考文献『ミラクエッシャー展』より)

 この作品の基本的な主題は向かって左手前側でベンチに腰かけている男が手に持っている立方体状の形である。男はこの現象を手にもっている単純なモデルで解こうとしている。これは立方体の骨組みに似ているが、上部と下部があり得ない方法で結合されている。こんな物体が現実空間に存在し得ない以上、このような立方体形を手にするということは不可能なはずである。この男の目の前の地面に広げられた絵を見れば、この謎が解けるかもしれない。これは、1832年、スイスの結晶学者であるC.A.ネッカー(1786-1861)によって描かれた、“ネッカーの立方体”である。

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 画像“ネッカーの立方体”の図aは立方体の構造を示すものだが、この中には二つの違った現実が投影されている。一つの現実は、 点1と4を手前に、2と3を奥にあるとみることで到達できるし、 もう一つの現実には、2と3が手前に、1と4が奥にある と仮定することで到達できる。この二つの可能性を同時にとり入れるという試みは、『物見の塔』より前に制作された『凸面と凹面』(1955年)のテーマであった。ところが、3と1を手前に、2と4を奥にみるということも同様に可能なのである。これは、立方体の概念に反しているため、自然にこんな解釈にたどりつけるわけはない。だが、この立方体の骨をすこし太く描いて、辺4-1が、辺A-2の前を横切り、辺3-2 が辺C-4の前を横切るようにしてやれば、そんなふうに見えてくる。この連結の仕方から図bが生まれ、これが『物見の塔』の基本図形になっている。さらに図cのような、もう一つの立方体形として見ることも可能になる。この二つの階をつないでいる八本の中で、正常な柱は左右の一番端のものだけで、これは図aのA-DとB-Cの辺の場合と同じである。他の六本の柱は手前側と向こう側とをつないでいるために、途中の空間ではやむなく斜めに横切らねばならなくなっている。向かって右中央の大きな帽子を被った男が、右手を隅の柱にあてているが、左手を隣りの柱にかけようとしてみれば判明することである。

 また、建物の上階は、その下の階に対して直交しているようにみえる。つまり上階の長手方向は、手すりにもたれる婦人の視線の方向と一致しているのに、その下の階の軸線は、谷の方を見ている大きな帽子を被った男の視線の方向と一致しているのである。

 

参考文献

『ミラクエッシャー展』(産経新聞社、2018年)

 

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