今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

芸術鑑賞 葛飾北斎 《冨嶽三十六景 山下白雨》

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葛飾北斎 『冨嶽三十六景 山下白雨』
(約1390文字・購読時間1分40秒)

制作時期 天保元~4年(1830-33年)頃

《凱風快晴》や《神奈川沖浪裏》とともに、《冨嶽三十六景》の三役に数えられる作品である。季節は夏、わずかに雪が残る富士山の山頂付近は、雲ひとつない青空が広がるが、山麓は真っ黒な色に覆われている。白雨、すなわち突然のにわか雨に襲われている状況を、シンプルな色彩だけで表現しようというのだろう。画面の右下には、橙色の斜めの線があるが、これは稲妻を意匠化したものである。快晴と大雨、天空と地上いう相反するもの同士を、富士山という巨大な山を通して一つの画面の中で結実させた、北斎の卓越した発想に満ち溢れた作品である。日雨とは、夏の激しいにわか雨のことである。そびえたつ富士の山頂は、澄んだ青空であるのに対し、裾野には漆黒の闇が広がり稲妻がするどく走る。地上という意味の“山下”は、激しいにわか雨に打たれている。富士山が堂々と描かれ、その雄大さが伝えられる本図は、“黒富士”の異名をもつ。『冨嶽三十六景 凱風快晴』こと“赤富士”ときわめてよく似たプロポーションをもちながら、両図を比較するとテーマや設定が対比的に描き分けられ、興味深い。それこそが北斎のねらいなのかもしれない。天空には、白い雲がまるで文様のように浮かび上がっている。信仰の対象としての富士山をも想起させるものだ。山の中腹を見ると夏雲が湧き出ている。さらに山麓にまで下ると、画面が黒々と塗られ、不吉な雨雲が地上全体を覆っていることが分かる。題名にあるように、白雨、すなわち突然のにわか雨に襲われているのだろう。極端なまでにデザイン化された稲妻がより一層その強烈さを物語っている。 快晴と大雨、天空と地上という、相反するもの同士を、富士山というモチーフを通して一つの画面の中で結実させた、北斎の卓越した発想が見事に表現された作品である。
 明治時代の童謡『ふじの山』の歌詞、「あたまを雲の上にだし四方の山を見おろしてかみなりさまを下に聞く富士は日本一の山」も連想される。《凱風快晴》同様、この《山下白雨》は、どこの場所から富士山を描いているか、題名には明示されていない。富士山の稜線やその背後の山並みから推測することも可能ではあろうが、北斎にとって、富士山をどこから描くかということよりも、快晴と大雨という天候を描くことの方に主眼を置いていたことは間違いないだろう。 この絵でもっとも印象深いのが、“黒富士”と通称されるように、富士山だけをクローズアップして捉えたシンプルな構図ながらも、画面の3分の1近くを黒で覆うという、その大胆な色使いである。
 《山下白雨》の先行作品として、浅野秀剛氏は、未だこれといったものを見出していないとしながらも、『吾嬬路記』の挿絵《夏吉原冨士》や、北斎狂歌絵本『はる不二』と通じている点を指摘している(*1)。また、秋田達也氏は、『東海道名所図会』 巻之五、吉原駅より描いた図における富士山の形と類似していることを紹介している(*2)。ただし、いずれにしろ《山下白雨》の大胆な色使いに結びつく先行作例とは言えない。このような大胆な構図と色彩を北斎はどこから思いついたのだろうか。もしかすると、北斎は実際に富士山の山頂にまで登っており、その時に雷雲を見下ろした体験が生かされているのかもしれない。

 

参考文献

(*1)浅野秀剛『浮世絵は語る』(講談社、2010年)

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(*2)秋田達也「北斎と名所図会」『大阪市立美術館紀要』第14号(大阪市立美術館、2014年)


辻惟雄監修『カラー版日本美術史』(美術出版社、2002年)

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栗本徳子編『日本の芸術史 造形篇Ⅰ 信仰、自然との関わりの中で』

www.amazon.co.jp

 

『THE UKIYO-E 2020 日本三大浮世絵コレクション』(日本経済新聞社、2020年)
文化遺産オンライン」『冨嶽三十六景 山下白雨』 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/174914