今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

芸術鑑賞 葛飾北斎 《富嶽三十六景 凱風快晴》

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葛飾北斎富嶽三十六景 凱風快晴』

(約1500文字・購読時間1分50秒)

制作時期 天保元-4年(1830-33年)頃

 『富嶽三十六景』は、いわずと知れた葛飾北斎の代表作である。シリーズ名には“三十六景”とあるが、総点数は全46図にのぼる。『富嶽三十六景』は天保元-4年(1830-33年)頃に西村屋与八が版元の「西村永寿堂」から出版された。富士信仰富士登山の大衆化に伴い、富士山は江戸時代の人々にとって親しみ深い存在であった。富士山を描いた絵は人気が高く、多くの浮世絵師が主題としたが、中でも代表的なものが北斎の『富嶽三十六景』であり、 北斎芸術の頂点と言われるこの傑作は、北斎72才の時の作品である。まず『神奈川沖浪裏』『凱風快晴』など、のちに“表富士”と呼ばれる 36図が出版された。江戸の町々をはじめとして、東海道や富士山の周辺などから見える、勇壮な姿を描き出す。その範囲は、東が常陸国(現在の茨城県)、西が尾張国(現在の愛知県)まで及ぶ。本図は、青く晴れ渡る空と連なる積雲を背景に、堂々とそびえ立つ夏の富士山を描いており、国内外の人びとに広く愛されてきた。制作欲旺盛な北斎は、当時ヨーロッパから渡来した“ベロ藍”を多用、藍を基調とした『信州諏訪湖』、『甲州石班澤』など10図も描いており、これらは“藍摺り”と呼ばれる。この“表富士”が爆発的な人気を呼び、追加の10図を出版している。『本所立川』、『甲州伊沢暁』などを含む、この通称“裏富士”の出版で、北斎の人気と名声は不動のものとなっただけでなく、それまで役者絵や美人画が主だった浮世絵版画の世界で風景画のジャンルを確固たるものにした。“表富士”と“裏富士”は輪郭線の色の違いで区別できる。表富士は“ベロ藍”といわれたプルシアンブルーで、裏富士は墨で輪郭線を引いてある。

 本図は山頂の部分以外、雪はほとんど溶け落ちており、富士山は赤茶けた地肌をのぞかせている。題名にある“凱風”とは、初夏の季節に南の方角から吹く穏やかなそよ風のこと。 気温が高い夏場は靄がかかりやすいが、凱風が覇を吹き飛ばしてくれたのだろう。富士山の地肌の赤茶色、山裾の樹木の緑、快晴の空の青といった、わずかな色彩しか使っていないにもかかわらず、簡潔な構図によって富士山の迫力ある存在感が見事に捉えられた傑作となっている。赤い山肌の富士山を描き、“赤富士”という通称で親しまれているように、富士山の真っ赤な色が印象深い。“赤富士”は夏の季語で、晩夏から初秋の早朝、太陽の光を受けて富士山が赤く輝く自然現象のことを言う。そのため『凱風快晴』の富士山が赤いのは、朝日を浴びて赤く染まっているためである。現在でもその美しい光景を見ることができるが、この堂々たる富士山は、どこからのものなのか、場所の特定はされていない。しかし、雲浮かぶ青い空に富士山の姿のみの構図は、このうえない鮮烈な印象を与えている。

 なお、狩野博幸氏は、赤く輝く富士を描いた野呂介石筆 『紅玉芙蓉図』からの影響を受けている可能性を指摘している(*1)。 しかし、そもそも『凱風快晴』という題名に朝日を連想させる要素が含まれていないこと、赤富士という自然現象が北斎の時代には誰もが知るものではなかったこと、昭和に入ってから赤富士現象が一般に広まり、それまで単に『凱風快晴』の別名として使われていた“赤富士”という用語と混同されるようになったことなどを考えると、『凱風快晴』の富士山が朝日を浴びていると捉えるのは見直す必要がある(*2)。『凱風快晴』の富士山が赤いのは、江戸の町から見ることのない夏富士の赤茶けた地肌を強烈に印象付けようとしたもので、白い雪を被った富士山という一般的なイメージに対して揺さぶりをかけようとしたのが北斎の狙いだったのではなかろうか。

 

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参考文献

『THE UKIYO-E 2020 日本三大浮世絵コレクション』(日本経済新聞社、2020年)

文化遺産オンライン」『冨嶽三十六景 凱風快晴』 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215164

 

(*1)狩野博幸『絵は語る14 葛飾北斎筆 凱風快晴一“赤富士”のフォークロア』(平凡社、1994)

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(*2)日野原健司「葛飾北斎富嶽三十六景 凱風快晴」再考」『浮世絵芸術』第170号(国際浮世絵学会、2015年) 

 

(*3)浅野秀剛「浮世絵は語る」(講談社、2010年)

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(*4)秋田達也「北斎と名所図会」『大阪市立美術館紀要』第14号(大阪市立美術館、2014年)

 

辻惟雄監修『カラー版日本美術史』(美術出版社、2002年)

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栗本徳子編『日本の芸術史 造形篇Ⅰ 信仰、自然との関わりの中で』

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