今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

美術批評 AKIRA

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AKIRA キービジュアル

(約900文字・購読時間1分10秒)

 1988年の映画公開時のキービジュアルは赤いツナギを着た少年が、背を向け、特徴的なバイクへと歩みを進めている。全く意味不明である。これには映画公開時に製作委員会側からクレームが入った。なんだかよく分からないと。キャラクターの顔が写っていない上に、この赤いツナギを着た少年は“AKIRA”ですらない。しかし、監督の大友はこれを押し通した。物語の中では中心人物がこの少年になるからである。このキービジュアルは映画が大絶賛されると同時にい広く知られることとなり、アイコンと化した。タイトルを見ずともなんの映画かわかるほどのインパクトをもち、その影響力をさらに増した。のちにさまざまなコンテンツでオマージュされることになる。

 映画『AKIRA』には、人間の戦うべきは己のコンプレックスであり、未来に期待することは良いことだ、というメッセージがある。対照的な鉄雄と金田だが、鉄雄は自分の劣等感を爆発させ、偶然得た超能力の使い方を金田より上に立つという目的で発散させた。結果、力をコントロールできず、大切にしていた物を壊してしまう。対して金田は自信満々な性格でリーダー気質である。普通の人間あるにも関わらず、破壊的な超能力の前に立つ。彼の超能力の前になすすべは無いが、最後まで救おうとする姿勢は鉄雄の未来を信じ、また仲間として受け入れる覚悟があったからだ。それができる人間と、劣等感に染まった人間とで結果が極端に変わってしまう。そして、人間の誰にでも力があるという設定から、人の葛藤の姿が見えてくる。誰もが力を持っていて、それを劣等感に偏る使い方をするのか、力を使わず未来を信じるのか。未来を予知するキヨコの「いつかは私たちも」という最後のセリフからは、もし、未来を信じる方向で力を使うなら、大きな力を大きな結果に結びつけることもあるいは、という意味に聞こえてくる。『AKIRA』は制作された80年代に少年時代を送った少年達、そして、現在、『AKIRA』の世界は現在の出来事と奇妙にも重なる部分が多数ある。図らずとも、現在を生きる少年達に向けた未来への物語ともなった。

 

参考文献

AKIRA GRAPH BOOK』 講談社、1988年

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