今日の芸術 2022

art curator 岡本かのんのブログ

芸術指標 アカデミー賞の誕生と社会的価値の変遷

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アカデミー賞の誕生と社会的価値の変遷

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 発端は1927年にプロデューサーだったルイス・B・メイヤー(1884〜1957)が設立した映画芸術科学アカデミーの副産物的な催しである。その後、ハリウッドの映画関係者が中心で各賞を選び、時代の空気を反映したり、会員たちの思惑など様々な要因が絡んでいくようになった。しかし、2020年は韓国映画『パラサイト』が4冠を制したことはアカデミー賞始まって以来、重要部門の作品賞を外国語映画が受賞するのは初であり、興味深い。受賞・ノミネート作品やスピーチの歴史を振り返り、同時にアメリカ社会や世界情勢との関係を紐解く。

 表向きはアメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞という名目だが、実際は撮影所の専門職が中心となって労働組合を結成し、労働条件の改善などを求め経営陣と対立に危機感をもったメイヤーが親しい俳優・監督・映画製作者協会を自宅に招き、経営者手動の労使協調の組織、映画芸術科学アカデミーを作った。前年にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、業績に対して授与される。一般的な映画祭では選考はジャーナリストや評論家による客観的な視点での選出が行われるが、当賞は映画芸術科学アカデミーの会員の投票という、身内で身内を讃えるお祭りだった。

 1929年第1回の作品賞は戦争ドラマ『つばさ』で暫くは身内の人気投票が続く。1943年15回ではディズニーの『総統の顔』など、プロパガンダ映画がアカデミー賞を受賞したこのから様相が変わってくる。

1945年第17回の第2次大戦下の爆撃手の成長物語で、“兵士は消耗品でしかない”というテーマの『コレヒドール戦記』がノミネートされる。 

1964年第37回『博士の異常な愛情』は作品賞ほか4部門にノミネートされた。

1979年第51回は作品賞を『ディア・ハンター』が受賞し、ベトナム戦争帰還兵の社会復帰問題を扱った『帰郷』と合わせて主要部門を総なめにした。日本でも人気の『ランボー』シリーズをはじめ、冷戦構造下、映画の中で戦争が繰り返し描かれる。

ソ連崩壊後も1998年第70回でノミネートされた『エアフォース・ワン』ではロシア人が米大統領専用機をハイジャックするストーリーである。

2008年第80回で視覚効果賞を受賞した『ライラの冒険』の悪役はロシア語を話し、長いひげとコサック帽をかぶっており、反ロシア的な設定になっている。

2010年第82回作品賞ほか6部門を受賞した『ハート・ロッカー』はイラク戦争の実態をリアルに描く。

2016年第88回助演女優賞を受賞、ほか3部門ノミネートの『リリーのすべて』は、世界初の性転換手術を受けた性的マイノリティー、リリー・エルベの物語であり、3部門ノミネートの『ボーダーライン』はアリゾナとメキシコの国境線をめぐる麻薬密売組織対アメリカ政府のドラマである。

2017年第89回作品賞を受賞した『ムーンライト』は、主人公が黒人でゲイの青年で人種や性的指向の多様性を象徴しており、自国第一主義を掲げるトランプ大統領(当時)への反対表明をしている。長編アニメ映画賞を受賞した『ズートピア』は、文明化した肉食動物と草食動物の共存する世界は多様性の尊重、差別の克服を示唆している。さらに2015、16年と連続で演技賞候補が白人俳優で占められていた反省か、助演男、女優賞がともに黒人俳優となった。

2018年第90回は報道の自由を訴える『ペンタゴン・ペーパーズ』が作品賞、主演女優賞にノミネートした。

2019年第91回の3部門受賞、作品賞含む7部門ノミネートの『ブラックパンサー』はスーパーヒーロー映画であるが、植民地主義君主制、分離主義、家族といった様々なテーマに関する物語である。

 ここ数年、受賞者が壇上で政権批判や人種差別、女性の地位などを話すケースが目立っている。以前は政治的発言が俳優の仕事を危うくし、タブー視された。その例は1978年第50回『ジュリア』で助演女優賞ヴァネッサ・レッドグレーヴ(1937〜)がスピーチでユダヤ人を批判する。その後ユダヤ人が多いハリウッドからの出演オファーは激減してしまう。近年では2003年第75回『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア(1954〜)が、「戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ恥を知れ。」と発言をし場内からブーイングが起こった。彼の作品が最優秀ドキュメンタリー賞を取ったのはアカデミーの立場表明。2015年第87回『6才のボクが、大人になるまで。』で助演女優賞受賞のパトリシア・アークエット(1964〜)は女性の給与と権利に関して完全に決着をつけたいと発言。女性の出席者達から歓声を受けた。

 この様にキャスト、スタッフの労働組合対策として始まったアカデミー賞は一人歩きを始め、戦争プロパガンダユダヤ/男女差別問題、政治的対立、国際問題、白人至上主義批判、性的マイノリティーの存在など、社会問題を孕むようになり、時代とともにその立ち位置、存在意義を変えて来た。近年ではアカデミー賞そのものが権威を持つまでになっている。こうした映画賞を純粋な映画作品に対する指標として捉えることは難しい。

 

参考文献

宇佐美文理、青木孝夫編『芸術理論古典文献アンソロジー 東洋篇』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年)

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加藤哲弘編『芸術理論古典文献アンソロジー 西洋篇』(京都造形芸術大学・東北芸術工 科大学出版局藝術学舎、2014年)

www.amazon.co.jp

小林留美『美学をめぐる思考のレッスン』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2019年)

www.amazon.co.jp

杉田 米行 『アメリカ的価値観の揺らぎ―唯一の帝国は9・11テロ後にどう変容したのか』(三和書籍、2006年)

www.amazon.co.jp

メラニー『なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」』 (星海社新書、2020年) 

www.amazon.co.jp

山崎正和編『近代の藝術論(中公世界の名著81)』(中央公論新社、1979年)

www.amazon.co.jp