ゲームクリエイティブについて考える2 全3部
第2部 個別公演 宮脇修一 天野喜孝
(約1400文字・購読時間2分)
○宮脇修一(株式会社海洋堂代表取締役)
宮脇
海洋堂はフィギュア模型の楽しみを世に広めることを目標としていた。例えば、模型屋時代はスローガンを看板に書いて毎月変えていた。(右「こどものよろこびは当然親ごさんのよろこび~」)なぜなら昔は評価が低く、変質者犯罪予備軍と言われたり、学校やPTAからバカになるから作るなと言われたからだ。
昔はプラモ屋が町に数件あったが落ちぶれてしまい、今はビックカメラやアマゾンに行くことになる。そんな中、海洋堂はフィギュアメーカーに転身してなんとか生き残れた。
以前は、良いものさえ作ればいいと思っていて売れなかったが、チョコエッグからフィギュアが世に認知された。お菓子のオマケにした途端に売れ出したのだ。そして、現代アート作家の村上隆と共同で作ったフィギュアはベルサイユ宮殿に飾られるまでになった。国立美術館公式の風神雷神フィギュアというものもある。
クールジャパンなんか経産省のつくりもので、うそ。日本のコンテンツが海外でうけているのはポケモンだけ。
美術展で売っている物はクリアファイルとかしょうもないものばかり。立体物のちゃんとしたものを持って帰って欲しいが、前出の風神雷神フィギュアは売れない。日本人は基本的に二次元が好きで、今度出るスターウォーズのフィギュアも売れないだろう。
逆境の中でなんとかフィギュアを広めたいというスタイルでやっている。
○天野喜孝(画家、キャラクターデザイナー、アーティスト)
M.I
同じガッチャマンでも、時代によって変わっているのは何故か(昔のガッチャマンの絵と最近描いたガッチャマンの絵を比べて)
天野
同じのを長年にわたって描くと記憶が曖昧になる。キャラが自分の中に入ってきて、それを再び出している。時代やニーズを考えたことはない。現代の社会やさまざまな環境の中で生活していて、その結果、生まれた絵が自分絵である。
M.I
タツノコ時代のキャラデザについて
天野
アニメキャラは物語やテーマがあったうえで作られる。会社の責任になるので人気などを意識する。人(アニメーター)が描くので、余計なものを省くようにしている。
M.I
独立してから絵柄が変わったのは
天野
自分の好きな絵を描いている。アニメキャラとは逆で入れたい線をすべて入れる。
装丁画は物語の世界を表現しようとして一本一本の線を描く。グインサーガは感情を表現した。表現するのは楽しい。会社員時代とは違い、自己責任でやっている。
M.I
FF1のパッケージイラストについて
天野
ゲームであるからということはなく、同時期にやっていた仕事で、別のファンタジー世界の延長で描いた。
M.I
江戸川乱歩シリーズ全集の装丁について
天野
月3冊というハイペースのため、中身は読まずにタイトルのイメージだけで描いた。
M.I
夢枕獏の本の装丁について
天野
古典がベース。やったことがなかったから挑戦。
M.I
N.Y.SALADについて
天野
ニューヨークで自炊しているときに野菜が妖精に見えて描いた。
M.H所感
宮脇氏はフィギュアやプラモが好きだというエネルギーと、蔑まれて来たことに対抗するエネルギーが混ざって爆発していました。
天野氏は発言が芸術的で断片的なのでまとめ辛いが、思いのほか、仕事と創作をバランスよくこなしている印象です。